槍ヶ岳・北穂高岳、老夫婦の縦走レポート

2011.09.16

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1日目

朝3時半に起床、4時には車で奥飛騨温泉郷の平湯温泉に向けて出発した。台風15号を避けるため計画を1日早めた事がどう影響するのか、台風来襲の前に家に帰れるのかは微妙な状況だ。最近の台風は日本近海で非常にゆっくりと北上する事が多いのでそれに期待したい。

早朝の高速道路はすいていて走りやすい、予定より早いペースで移動できた。一宮から東海北陸道に入ると車の走行は更に少なくなって走り易くなった。運転を妻にバトンタッチして、リラックスした気持ちで高速道路のドライブを楽しんだ。

飛騨清美で高速道路を降りるが、カーナビが示す方向と道が違うと咄嗟に判断して妻に方向を指示した。この道は飛騨清美で中部縦貫道に接続され、高山市街地を走行しなくても国道158号線を松本方面に向かえる道だった。ナビはこの道を認識しているのに、なぜ違う道を示したのだろうか?

平湯温泉は3度目だ、大きな駐車場を持っている事は認識していたが、これが温泉のある建物のすぐ脇にあるものと思い込んでいたが、実際には私のイメージしていた駐車場はアカンダナ駐車場で、温泉館とは少し離れた場所にあった。上高地はマイカーによる自然の荒廃を防止するため、マイカーの乗り入れ規制を行っている。個人的に上高地を訪れるには、このアカンダナ駐車場に車を置くか、沢渡駐車場に車を置いてシャトルバスで上高地に向かうしかない。私の記憶の曖昧さはいつもの事だが、66歳に迫ろうとしている今、物事の記憶が曖昧になる事は更にひどくなって行くのだろう。

     
川藻の揺れる小川 明神橋  

上高地からは穏やかに晴れ渡った空の下、気持ちよく横尾迄の3時間のトレッキングを楽しんだ。梓川沿いのこの道は何度歩いても飽きのこない道だ。左手に急峻な峰々がそびえ立つ穂高連峰を眺め、その下には標高1500mの高地にある川とは思えない広い河原を持った梓川の清流がある。道の両側は鬱蒼と茂った笹と、白樺等の心癒される木々が延々と続く。朝の連続ドラマ「おひさま」に時々出てくるお蕎麦屋さんの近くにある美しい緑色の川藻の揺れる小川に似ている部分もあり心が和む。本日はおまけに人慣れした猿の群れにも遭遇し、自然の残る上高地が人の手で荒される事の無いようにと心から願った。

横尾山荘の夕食で私たちと同年位の人が、明日の天気がどうも雨らしく槍ヶ岳登山を迷っている様な事をいっている。山荘にはパソコンが準備されインターネットで知りたい山の明日の天候が判る様になっている。私も明日の槍ヶ岳の天候を調べた所なので雨では登るのは嫌だなと少し躊躇している所だった。しかしこの山行は3~4カ月前に計画して楽しみに待っていたし、前回の台風12号で延期し、今回の台風15号を避けるために計画を1日前倒ししての山行だ。ここであきらめるのは残念すぎる。妻と相談し、少々の雨でも決行する事を決めた。


2日目

天気予報の通り朝から雨がシトシトと降っている。予定通り槍ヶ岳登頂を目指しカッパを着込んで6時30分に横尾山荘を出発した。カッパを着込んでの山行は暑いのではと思っていたが、標高1500mを超える地点は地上より気温がかなり低いのか、たいして汗もかかずに標高を上げて行く。

妻は北アルプスでは涸沢登山を一度経験した事はあるが、それ以上高い標高は初めてである。64歳になろうとしている年齢で初めて3180mの頂きに立とうとしている。山好きな私への付き合いとは言え、良く付いて来たなと感心している。途中「もう帰る、私節子さんになった」と冗談を言うゆとりさえ見せてくれた。節子さんは痴呆症で、夫の支えを受けて金剛山を二人合わせて一万回を超える登山をした大阪の人でNHKテレビのドキュメンタリで紹介された人だ。もう帰ると駄々をこねる節子さんを、優しくいたわり頂上を目指す二人が印象的だった。夫の立場が私の場合だったら、あのように甲斐甲斐しく痴呆になった妻をいたわり、励まし支え続けていけるだろうか。

私の60歳で再婚を果たした大切な妻だ、私のために趣味でも無い槍ヶ岳登山にまで同行してくれる大切な妻だ、節子さん以上に支えて行こうと決心した。

雨とカッパの中からの蒸せで体中がビショビショに濡れて槍ヶ岳山荘に到着した。チェックイン手続きを済ますと、ザックを山荘の人の邪魔にならない場所に置き、ガスの中をさっそく槍ヶ岳山頂を目指した。私の山のホームグラウンドである大峯山系で殆どの山は妻にも経験させ、妻の登山技術に付いては歩くペースが遅い事以外は問題無いと思っていたが、さすがに槍ヶ岳だ。妻は恐怖で震えている様だ、「もう帰る」今度は本気で言っている。ここは一方通行になっていると暗に戻れない事を示唆し前進する。後ろから迫ってきた6人パーティに道を譲ると、先頭のリーダはザイルを取り出し後ろの3人をザイルで結んだ。ここではザイルがいるのと妻がリーダに聞くと、ここではザイルのいる人といらない人がいると言い放って6人パーティは登り始めた。妻は梯子段で一歩一歩足を揃え、恐怖で梯子にしがみ付く格好のため足元の確認ができずに余計に怖く感じている様だ。こんな時はどんなアドバイスもなかなか聞き入れて貰えない。山頂では頂きに祭られた小さなお堂以外はガスで何も見えない、もちろん眼下は真っ白なガスに覆われて高度による恐怖感は全くない。それでも標高3180mを踏破した満足感が静かに伝わってくる。妻は登りで恐怖感を克服したのか、下りでは比較的スムーズに下山でき安堵した。

アルプスの山小屋のトイレにはいつも閉口している。最近は各小屋とも良くなった様だが、さすがに標高が高く気温の低い小屋ではバクテリアによる糞尿処理の効率が上がらないのか、槍ヶ岳山荘の改善度は小さい様だ。槍ヶ岳山荘の乾燥室にも閉口する。この雨で山荘に辿り着いた人は皆ぐしょ濡れの状態で、1分でも早く衣服を乾燥させたいのに乾燥用のヒータが運転されてない、なんとお粗末な対応なのだろう。私が乾燥を諦めたあと妻はなんとかチャンスを見計らって衣服の乾燥にチャレンジし、私の服も何とか乾燥する迄にしてくれた。「女は強く、そしてしぶとい」。

この山荘でもインターネットにより明日の天気予報を見る事ができた。明日の天候は晴れ時々曇りとあり、明日の北穂高岳縦走は可能だ。しかし本日の槍ヶ岳登坂ではあれだけの恐怖心を見せた妻に、恐怖の大キレット通過をさせるのは無理では無いかと考える様になっていた。また台風15号に追われて1日繰り上げた山行ではあるが、台風は着実に近づいているようだ。予定通り北穂高小屋に1泊すれば次の涸沢下りでは台風の中の下りになるかも知れないと思うと迷いは深まる。明日の事は明日の天候次第で明日考える事にし、8時間を要した槍ヶ岳登頂の疲れをいやす事にした。しかし眠れない、時々呼吸が停止する強烈な鼾が聞こえてきた、呼吸が再開する時の音がまた凄まじい。それでも体の疲れは睡眠を誘う。


3日目

4時、周りが騒がしくなってきた。昨夜トイレに起きた時は濃いガスがかかり御来光など全く考えていなかった。周りでは御来光を槍ヶ岳山頂で見ようと準備を始めている様だ。山荘の外に出て見ると山頂や山腹でヘッドランプの明かりがちらちら見える。既に山頂で待機している人がいるのだ。我々は昨日登頂を済ましているので、登る積りは無いがもし御来光が拝めるのならと、カメラを準備して太陽の昇るのを待った。山荘の玄関口から山頂を見てその30度位右側のガスが少し明るくなって来た。ガスは物凄い速度で動いている様だ、もしかしたら御来光が拝めるかも知れないと期待して待っていると、ガスのうねりの中に微かな赤みが見える、その赤色の玉は段々大きくなりガスのうねりで益々拡大していく。9年前に見たあの感動を思い出した。

その年の16年前に6歳と10歳の幼い子供を残して前妻は癌に倒れ逝ってしまった。男手で子供を育てるだけの人生が始り、仕事の他に食事の用意や洗濯に追われ自分の楽しみなど何一つ無い中で10数年が立ち、子供達が自立して家を出ると私の心にポッカリと大きな穴が空いたように何をして良いか判らない日々が続いた。カメラを持って大峯山に入り、心が癒され落ち着く自分を感じ、大峯山にのめり込む様になった。誰一人いない山上ヶ岳の雪の上にテントを張り一人で寝る。これで心が癒される自分はどうなっているのだろう。山に対する一切の恐怖心は無く強靭な体力で20Kg以上のザックを背負って大峯奥駈道・小辺路8日間を歩き通す。そんな折、上高地・蝶ヶ岳・常念岳・大天井岳・西岳・槍ヶ岳・南岳・北穂高岳・前穂高岳・奥穂高岳・岳沢・上高地を25Kgのザックを背負って小屋泊まりは1泊、後はテント泊での縦走に挑戦した時の事だ。同じだ、あの時槍でみた御来光の感動を今度は最愛の妻と二人で見ている。前期高齢者に突入した私と64歳にもなろうとしている妻の老夫妻が見ている。人生の終わり近くになってこんな幸せがやって来るなど夢にも思っていなかった。

御来光に力を貰い、大キレット通過の決心ができた。妻も昨日の槍ヶ岳下山ではかなりの能力を見せてくれたので何とか乗り切れるだろう。台風を考慮すると本日中に涸沢までの下山も厭わない。そんな気持ちで槍ヶ岳山荘を出発した。大喰岳・中岳辺りから後ろを振り返ると槍ヶ岳山荘は朝日に輝き山頂には数人の人が立っているのが見える。幸せを改めて感じさせてくれた槍ヶ岳に感謝しながら南岳に向かう。昨日の槍ヶ岳登頂の時に先を譲った6人パーティが歩いている。どうも登山ツアーの客5人と山岳ガイドの様だ、ガイドはあれこれと説明をしながら、また指示も出しているが最後尾の登山者は写真を写す事に熱中して隊列に遅れている。中岳を過ぎる頃にはガイドが独り歩きをして、客が付いて来ない様に見えた。南岳から大キレットに入るのに、こんな乱れたツアーで大キレットを乗り切れるのだろうかと他人事ながら心配になる。南岳で休憩していても彼らは来ないので天狗原経由で槍沢に降りるのかと思い他人事の心配は無くなった。

   
 大岳から槍ヶ岳・槍ヶ岳山荘を振り返る  恐怖の大キレット

南岳からいよいよ大キレットに入る。キレット入口の右側に回り込み大キレットの全貌を眺め写真に撮った。高さ300m程の急峻な崖を下り、鋭い尾根を歩いた後、今度は300mの急峻な崖をよじ登る、どちらかと言うとロッククライミングに近いコースだ。現にヘルメットをかぶり、ロッククライミングの格好をして通過している人も何人か見かけた。我々老夫婦が越える事ができるのか不安な気持ちが過ぎる。岩を持つ手の位置・足を掛ける位置を慎重に探しながら進む。時々後ろを振り返り妻の動作を確認したり持ち手を指示したりして、次に自分の前進方向に体を向ける時はバランスを崩しそうになり恐怖感が迫り体がゾクゾクする。我々のキレット通過速度は遅いので、後ろから近づく人には全て先を譲り慎重にゆっくりと北穂高岳を目指す。時間も立ち、通過する人が少なくなって来た。お腹も空いてきたので何とか足場を確保して昼食にしようと、槍ヶ岳山荘で貰った弁当を開けて見ると油の匂いが鼻を付く混ぜ御飯のお握りで、二人とも食べる事が出来ない。お茶と昨日の弁当に貰ったパンの残りを食べて簡単な昼食をすませた。通りかかった外人が真上の100m位の高さの位置に、北穂高小屋がガスの中にオーバーハングして微かに見える事を教えてくれた。先が見えてきた事で少し力がでてきた様だ。コース時間3時間で通過できる大キレットを我々は4時間掛けてやっとの思いで北穂高小屋に辿り着いた。到着時間は14時、槍ヶ岳山荘を6時30分に出発して既に7時間30分が経過していた。

北穂高小屋の休憩所では何人かの人が声をかけてくれた。「心配していた、到着して良かった」我々が道を譲った人達だ。老夫婦の大キレットの挑戦が危なっかしく気になっていたのだろう、中には拍手で迎えてくれた青年もいた。一度会っただけの人を気にかけそして拍手で迎えてくれる、山でしか味わえない感動だ。体力の消耗は限界に近い、とにかく腹に何か詰め込もうと売店を覗くとカップヌードルを置いていた。標高3100mから遥か下に見える大キレットを眺めながら食べるカップヌードルの何と美味しい事か、無事に北穂高岳に辿り着けるのだろうかと不安な気持ちを妻に見透かされないよう悪戦苦闘した大キレットを眺めながら、感慨深い食事となった。

14時30分、最後の決断だ、涸沢までの下山時間はコース時間では1時間40分となっている。台風が近づいているので直ぐにでも下山したい気持ちはあるが、大キレットでの体力の消耗は大きくその気持ちが揺らぐ。元々この山行計画では日本一高い所にあるこの山小屋で宿泊し、朝夕の感動の山岳風景を写真に収める事が目的の一つでもあったのだから。先ほど拍手で迎えてくれた青年が涸沢迄は1時間30分で降りれるし、明日の上高地のバスの発車時間を考えると今降りた方が良いと降り始めた。我々には時間はあるが、やはり台風の事が心配だ、今からの下山を決断した。

北穂高岳山頂3106mからは標高2400mの涸沢ヒュッテが見え、そのテント場には色とりどりの鮮やかなテントの花がすぐ其処に咲いているかの様にさえ見える。さあ下山開始だ。

 
なかなか近づかない涸沢のテント場 

大キレット通過で体が疲れているのは十分認識していたが、足がこれほどのダメージを受けている事には気が付いていなかった。一歩下る度に膝がぐらつき、太ももとふくらはぎに激痛が走る。妻も同様の様だ。下りの傾斜はきついが大キレット程の恐怖感は無い、一歩一歩に足の激痛をこらえながら歩く。頂上で直ぐ其処に見えていた涸沢ヒュッテの大きさや、テントの大きさは相変わらずの大きさで少しも我々に近づいては来ない。16時30分のヒュッテ到着を目指して歩くが、ダメージの大きな足が言う事を聞かない。17時30分やっとの思いで涸沢小屋に辿り着いた。100m先のヒュッテ迄歩く気力は最早無く小屋で宿泊する事にした。

心配した台風の影響はまだ出ていない、本日は晴れ時々曇りの絶好のトレッキング日よりではあったが、妻を伴っての危険な道のトレッキングは気を使い、自分のペースでは歩けないもどかしさから大きな疲れを感じるが、愚痴一つこぼさずに自分に付いて来てくれる妻に心から感謝し、また強い絆で結ばれている事を肌で感じた。前穂高岳上空に月が明るく輝き星も見える。テン場には幾つものテントの中でそれぞれの人生を懸命に生きていく若者達がいるのだろうか、静かに涸沢の夜が過ぎて行く。

   
 夜の涸沢小屋   夜の涸沢テント場

 


4日目

涸沢の朝は快晴だ、本当に台風は迫っているのだろうか。前回08年8月15日に妻と訪れた涸沢は残雪で登るのも下るのも怖いと妻が大騒ぎをしたものだが、さすがに9月ともなれば登山道に残雪は無く、足の痛みに耐えながらゆっくり、ゆっくりと沢を下る。真赤な実を付けてはいるが、葉はまだ青いナナカマドが点々と沢の道を彩る。日本一とも言われる涸沢の紅葉は2週間後には最盛期を迎えるのだろう。北穂高岳で拍手で迎えてくれた青年が追いついてきた。彼も大阪の人で10年前の冬に涸沢で山スキーを楽しんでいた時、雪崩にあい友人を亡くしそれ以来山にはいれなくなっていたと言う。今回10年目にしてやっと山に入れる気持ちになった様だが、人それぞれに辛い思いでを持って生きているのだなと暗い気持ちになった。

 
 真っ赤な実を付けてはいるが、葉はまだ青いナナカマド

上高地でザックをデポし、梓川右岸を散策する。ウェストン碑辺りから上高地は雨に変わった。いよいよ台風が近づいてくるのを感じ、早々に帰宅の途に就いた。
  国道158号線から東海北陸道の飛騨清美ICに入る頃には豪雨の中を慎重な運転で自宅に向かった。翌朝岐阜や名古屋地区で台風の豪雨により数十万人に避難勧告が出されているのを知った。
  台風を意識して一日早めて決行したこの山行が、かろうじて台風に間に合い、夫婦の絆を深めた意義深いものになった事に感謝し、この山行レポートを閉じる。

 

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