北アルプス剣岳撮影山行

2002/10/12

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  この盆休みに北アルプスの槍ケ岳を中心に左回りに回るコースを5泊6日かけて挑戦し、奥穂高岳山荘で浮腫んだ自分の顔を鏡で見て驚き、北アルプスから逃げる様に必死で岳沢を下ってから僅か2ヶ月。今度は劒岳に挑戦だ、逃げ帰ったあの時の自分の心理状態はどうなっていたのだろう。あの時は山が嫌いになった訳ではなく、心の中で誰かが速くここを離れろとささやいていた様に感じて、無我夢中で上高地を目指して歩いたような気がする。

  さんから劒岳山行に誘われた時、上記の事がちらりと頭をかすめたが、迷う事無く同行を決定した。山に惚れたとか、山が大好きだとかの気持ちはそんなに無いが、家にいるより山にいる方がやはり精神的に安定しているのを感じる。

  10月11日 最初の難関が待っている。待ち合わせ場所は城北のさんの家になっている。地図を書いてもらったとはいえ、田舎者の自分がそこに辿りつくかがまず心配だ。阪神高速湾岸線から環状線にはスムーズに乗れたが、標識の見落としで環状線から支線に入ってしまい、やむなく阪神高速から一旦降りた所が難波球場辺りでさあこれからが大変だ、方向感覚も地理感もない者がむやみに車を走らせても環状線の入り口が判る訳もなく30分を無駄に費やした。このままではダメだとタクシーの運ちゃんに環状線の入り口を教えてもらい、入り口近くでは更に別の運ちゃんに念押しで教えてもらって何とか環状線に乗る事に成功しほっとする間もなく、京都・守口線の標識を見つけるが何故かいわれた守口の頭に京都が載っている、これは違うと環状線を更に一回りしてもただの守口線は出てこない、やっと守口の先に京都があるので京都守口線で良い事に気付く。守口線に入るとイメージトレーニングの成果が発揮でき、間違える事なく邸に到着した。(やれやれ)

 
 八郎坂の紅葉

  23時前立山を目指して邸を出発した。劒は始めてだし地図を見てもまだ行き場所でさえあまり理解できていない、今回はさんのお供として、おんぶに抱っこで面倒を見てもらおう。

  10月12日 (ここからは同行した氏の原稿“劒の太陽”を拝借)称名滝パーク手前のゲートに4時に一番乗りで到着し、ゲートの開門までの3時間仮眠を取る。目覚めて車を降りると、後ろに何十台も車が数珠繋ぎに停車して、開門をまっている。ゲートから駐車場迄は10分程度で到着。称名滝を左方にみながら、八郎坂の急坂を登る。弘法まで2時間半と地図には書いてあるが、我々はこの辺りの紅葉の美しさに何度も足を止められた。滝自体は逆光になるため、昼からの撮影でないと撮れないので、帰りの楽しみにしておくとして、「木々の美しさ」は喩え様もなくまた、天気も最高だ。朝日を浴びた紅葉は逆光の中で美しく輝き、何本フィルムがあっても足りないくらいだ。

  結局、弘法に着いたのは11時を回っていた。4時間以上かかってしまった。標高1620mの弘法は、昨年と変わって、ナナカマドなどの木々の紅葉はすでに終わっていた。少し予定を変えてバスで一気に2400mの室堂まで行き、夕日の撮影にそなえるため、劒御前小屋にいそぐことにした。と言っても立山が始めての牛島さんは、ミクリガ池、地獄そして立山もはじめてでめずらしく、三脚を立てて各駅停車で行く。あまり天気がよすぎてアクセントになる雲がないと、つぶやき始める始末である。

 
湖面に映るミクリガ池 

  昼飯もそこそこに、どんどんフイルムを消費していく。ここで時間を食っていたら、せっかくの夕日の撮影に間に合わない。今日最後の登り、雷鳥沢から最短コースを選んで小屋まで急ぐ。これが又きつい。一生懸命歩くが久しぶりの3000mの空気で酸素不足、牛島さんの足にリズムが乗ってこない、やはり67のカメラ、アイゼンそして冬山の装備は重すぎたかもしれない。私は夏の靴にTシャツ一枚で登っていくのでまだ少し余裕があったが、直登コースで2750mの小屋まではさすがに辛い。それに腹ぺこで馬力も出ない。

  4時前に何とか小屋に着き、自炊で申し込み5300円を一人分として支払う。早速カメラを担いで別山の方へ駆け出していく。今日は最高の夕日が拝めそうだ。15分位で北に剱岳、南に立山が見える稜線に出た。早速三脚を立てて一息つける。それにしても良い天気だ、もう上弦の月が雄山の上に顔を出している。

  日没は5時半と調べていたが、両山がどんな色に染まるか、いまからわくわくしながら待つ。今年の夏鹿島槍から一度剱岳を見て、その雄姿に感動を覚え、まじかで見たいと思ったのが、今回山行の目的のひとつだ。だんだん日本海に大きな真っ赤な太陽が沈んでゆく。劒岳を撮ったり今度は反対の立山を撮ったり、広角にしたり望遠に替えたり、カメラマンはこの一瞬が一番忙しくまた至福の時でもある。

  あっというまに暗くなってきた、そして寒くなってきた。東の空がトワイライトから、星空に変わって行く。空気が澄んでいるので星が手に取るように近くに見え、どんどん輝きを増していく。星の撮影もしたいが、腹も減ったし一杯も飲みたいので、7時過ぎ小屋に戻ることにした。帰る途中小屋の食堂からいい匂いが空腹を刺激する。

  牛島さん「夕食のメニユー何?」と、聞けばレトルトの五目めしと缶ずめ。私はアルファー米にカレー、情けない。お造りに熱燗、体が温もって来たら上等の水割りを2.3杯飲んで2.3曲歌いたいのが今の心境だ。

 
 黄金色に輝く立山

  牛島さんと色々な話をする山の事、カメラの事、志高の事、人生の事、そして友達になれて共通の趣味があって健康であることが、とても嬉しいかぎりである。

  明日は劒岳に挑戦する。私は15年前に、最初のホームステイのロブという男子と一緒にトライして、一服剱まででリタイヤしたが、今回はせめて前剱岳か是非剱岳に登りたいものだ。

  10月13日 二日目は朝3時半に起きて、昨日の所で三脚を立てて日の出を待っている。牛島さんは自慢のダウンを着ている。私はユニクロのフリースでは少し寒い、心まで冷える。白馬の方から赤く焼けてきた。昨日同様雲一つない快晴だ。また、至福の時が始まった。忙しい、どんどんフィルムを消費して行く。こんな時に限ってフィルムチェンジをしなければならない。大きなまっ赤太陽が山から顔をだす、すると周りの色が急に変わって行く。たっぷり撮影を楽しんだ後テルモスから熱いお茶飲む、心にしみる。そして小屋に帰る。小屋では味噌汁の良い香りが私の腹を鳴らす。私達は、カップラーメンと、アルファー米の残り食べる。「牛島さん今日剱岳に登ったら小屋で食事を楽しみましょう」と誓って、カメラ、水1リットルとパンの軽装で、往復8時間のコースに出る。しかし三脚を立てながらの剱岳アタックは、何時に帰れるかわからない。途中何度も景色の良い所で、撮影を繰り返す。私が時間節約のためにショートカットコースを選んだら、這い松のブッシュに阻まれ、結局1時間以上もロスタイムを出しってしまった。牛島さんに大笑いされる羽目になった。しかし昨日と違いザックが軽いからまだましである。自己弁護、11時15分やっと一服劒に着く。

 
 前剱からの八峰と白馬遠望

 
 紅に染まる剱岳

  朝の7時から出て4時間以上もかかっている。なんと前劒岳が大きく見えることか、1度下って又大きく登る、一服劒岳2618m、そして前劒岳2813m11時50分前劒岳についた。牛島さんは私が選んだブッシュのコースのせいで少し疲れてしまい、劒岳までは無理だと言っている。私一人では心細いが、外人ロブとの心残りもあるし、天気も良いのでトライすることにした。前劒岳から見る本劒岳はさすがに立派、岩嶺はそのまま人を圧倒させる見応えの有る山容である。前劒岳からまた一度大きく下り、鎖場を何度も繰り返しあの有名なタテバイを登る。今夏鹿島槍のG4,G5を登ったり下ったりしたが、劒岳のタテバイ、くだりのヨコバイはさすがにスリル満点だ。タテバイの途中で、下を見ると若いカップルが登るべきか、止めるべきか思案している。私は大きな声で本当危ない止めた方がいいとアドバイスをした。本当は私が止めたかった。怖い、、、、、そしたら男性は女性のザック担いで上がり、女性は空荷で登ってきた。やはり、愛は劒より大きい事がよくわかった。このカップルは大阪の人だったので、得意の大阪弁ですぐに友達になり、携帯を借りて前劒の牛島さんと連絡をとり、1時10分登頂に成功した事を伝えた。しかし、あまりのスリルから水を全部飲んでしまった。牛島さんの水だけが頼りだ。

  山頂で記念撮影をして360度のパノラマを楽しんでいたら、1時55分急に雲が湧いてきたので下山にかかる。日本海からの雲で、たっぷり湿気を含んでいる。山頂以外は真っ白になり、雲海の中でヨコバイ下るのもなかなかおつなものでチビリそうである。前劒で牛島さんと会う事ができ、まず一杯水をもらって急いで小屋に向かう。何の事はない夕食申し込み時間5時までに帰らなくては、またレトルトを食べなければならないからだ。5時5分に小屋に着き食堂の前に並ぶ、もちろんビールを持って。今日は雲海の上に真っ赤な太陽が沈んでいく。昨日よりも美しい、食堂の窓全部がステンドグラスのように光る。外にでて写真を撮りたい、しかし今日は歩き疲れて食欲とビールに負けた。窓側のテーブルでゆっくり食事を愉しむ、こんな贅沢も山にきて初めてだ。

  10月14日 3日目朝7時 ガスが出て見とうしが悪い、しかし下山には丁度良い。また重いザックを担いで歩き出す。室堂から弘法まではバスを使い、弘法からは称名滝と紅葉の撮影を楽しみながら一歩ずつ下っていく。

  今回牛島さんの装備は少し重かったけれども、もし天気が悪かったら私が辛い目に会わなくてはならなかった。冬山に備えて体力、気力を充実させ次回の山行を計画したいものだ。

PS、帰阪したら日焼けで顔の皮が、むけて皆に笑われた。「劒岳の太陽ありがとう」

平成14年10月12から14日  牛島 

  この原稿は10/11までは牛島オリジナルで後は氏の原稿“劒の太陽”をほぼそのまま使わせてもらった。(劒登頂が果たせなかったので自分では書けなかった。但し写真は牛島が撮影)

   
硫黄燃える 地獄谷  阿弥陀が原のススキと紅葉

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